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支払準備金の運用・調達として短期資金取引の必要性が明治30年頃から認識され始め、明治35年頃にコール市場が創設された。以降、わが国の短期資金取引はコール・手形を中核にして発展してきた。 |
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1971年5月には手形市場が創設され、翌年6月からは買入手形オペ(現在の「本店方式」)が導入された。以来、手形市場は金融調節の場としても重要な役割を果たしてきている。 |
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1970年代に発生した債券現先市場を先駆に、1979年5月にCD市場、1985年には円建てBA市場、1986年にはTB市場、1987年にはCP市場と、各オ−プン市場の創設・拡大が続いた。 |
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また、コール取引については、1985年7月に無担保コ−ル市場が創設された。前年の6月に円転規制等が撤廃され、円転市場やユ−ロ円市場で無担保の資金取引が活発化したため、国内市場でも金利裁定の円滑化や、在日外銀の円資金調達を容易にするなど、海外市場との整合性を高めることへのニーズが高まったことが背景となっている。これを契機にコール市場の規模は拡大した。 |
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1989年6月には金融界、学会など関係者による「短期金融市場研究会」が発足、その提言に基づいて、市場の自由化・国際化を指向した市場改革が、数多く実現されることになった。続いて1995年4 月には市場に参加している銀行など各業態の代表からなる「短期金融市場取引活性化研究会」(短取研)が発足、以降の市場制度の改善に多くの成果を生んでいる。このようにして、自由化・国際化への整備が進み、わが国の短期金融市場はロンドン、ニューヨーク等の国際市場に比肩しうるものとなった。 |
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1990年代後半、大手金融機関等の破綻が発生し、金融システムに対する不安が強まった。このため1998年10月に「金融再生措置法」、「早期健全化措置法」などが制定され、これに基づき、金融システムの安定回復化を図るため1999年3月に公的資金が投入された。 |
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前後して1999年2月12日の政策委員会・金融政策決定会合では一段の金融緩和、いわゆる「ゼロ金利政策」が決定・実施された。
その後、ゼロ金利政策解除の条件であった、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったとの判断から、2000年8月に「ゼロ金利政策」は一旦解除されたが、2001年に入ると海外経済の急激な減速などの影響から景気回復テンポが鈍化、物価低下圧力が再び強まるとの懸念が生じた。このため日本銀行は3月から、金融調節の操作目標自体を、これまでの無担保コールオーバーナイト金利から日銀当座預金残高に変更し、(いわゆる「量的緩和政策」)当座預金残高の引き上げを行うことでオーバーナイト金利を0 %近辺へ誘導した。なお、実施期間の目途として「消費者物価指数(CPI)前年比上昇率が安定的に0 %以上となるまで継続する」との方針を表明した(「時間軸効果」)。 |
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こうした日本銀行による毎日の資金需給調節を通した量的操作のために、オーバーナイト金利がゼロ%に誘導されたコール市場からは資金が大量に流失し、市場規模(市場残高)は大幅に縮小することとなった。 |
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しかしながら目を転じてオープン市場の展開をみると、短期国債(TB・FB)市場では1999年4月にTBに1年物が追加され(ただし、3 か月物は2000年4月以降発行されていない)、さらに「定率公募残額日銀引受方式」により発行されていたFBに1999年4月に「市中公募入札方式(コンベンショナル方式による価格競争入札)」を導入、その後は発行額を順次引上げ、2000年4月には「完全公募入札方式」に移行した。これらにより短期国債市場残高は1999年3月末には21.5兆円であったものが、2004年3月には126.7兆円と約5.9倍に急成長し、また、債券レポ市場も54.4兆円の規模に達するなど、2004年3月末のオープン市場の残高は約244.8兆円となった。そして2004年3月末のインターバンク、オープンを併せた短期金融市場の全体の規模は、293.3兆円と1999年3月末に比べて約1.6倍と増加している。 |